「ポジティブ思考」という病は、どのように広まったのか?

メンタル

はじめに:ポジティブシンキングへの違和感

こんにちは、雨夏ユカリです。

「夢を持てばうまくいく」「あきらめるな」「ポジティブに考えろ」

こんな言葉を、聞いたことありますか?

まあ、おそらく現代に生きている日本人ならば、ほぼ全員が聞いたことあるのではないかと思います。学校でも、職場でも、物語でも、こんなメッセージは耳にタコができるほどに聞いたことでしょう。

でも、こんな疑問が生まれてくるわけです。

「本当に、夢を持てばうまくいくのか?」
「本当に、あきらめちゃいけないのか?」
「本当に、ポジティブに考えなきゃいけないのか?」

どうでしょう? 考えてみれば、私たちは小学生の頃は夢を無邪気に語ったりしていました。良い人生を送れると、ポジティブに考えていたこともあったでしょう。あきらめずに何かに打ち込んだこともあったかもしれません。

そう考えると、夢やポジティブシンキングでうまくいくなら、大概の小学生は「夢見た大人」になっているはずです。が、実態は、その逆です。「子供のころ思い描いていた“普通”が、実はとんでもなく難しかった」みたいな声が聞こえてきそうです。実際「ポジティブに考える」だけでうまくいくならそれほど楽なことはないでしょう。

にもかかわらず、現代日本では、「ポジティブさ」は「道徳的美徳」となっていることが多いです。それゆえに「ポジティブさ」に疑問を持つことは、まるで「人を殺してはいけない」ことに疑問を持つかのように、道徳的に悪いこと、避けるべきこととされているのです。

でも、本当にそうなのか? 「ポジティブさ」は本当に「美徳」なのか? 仮に「美徳」だとしても、その文化は、人間社会において普遍的なものだったのか?

こんな、自己啓発セミナーの人が聞いたらブチ切れて熊でも召喚してきそうなテーマについて、今回は考えていこうと思います。 

今回のメイン参考文献はこちら
はるか
はるか

夢を持てばうまくいくなら、私だって「プロの昼寝選手」になってるはずなのに!

あきな
あきな

お姉ちゃん、まだ昼寝して生きていく夢を捨ててなかったんだね……

はるか
はるか

ポジティブに考えれば夢はかなう……ってよく言うじゃん!

ポジティブ「思考」と「感情」は違う

まず、大切な前提が一つあります。それは、ポジティブな感情とポジティブシンキングは別物だってことです。

ポジティブな感情自体は(基本的に)良いものが多いです。

好きなゲームで遊んでる時に感じる「楽しさ」とか、友達とおしゃべりしてる時の「幸せ感」とか。こういう感情は、私たちの喜びの源泉ですし、大切なものです。

問題は、ポジティブ思考がこれらと一緒にされちゃうことにあります。

いや待って「ポジティブ思考」と「ポジティブな感情」って何が違うの? 同じものでは? と思う人もいるかもしれません

ポジティブ思考とポジティブな感情は、まったくの別物です。

例えば、友人とゲームしている時に感じる「楽しさ」はポジティブな感情です。が、もし、職場の飲み会に行きたくもないのに誘われたら? そこで、「ポジティブに考えよう。楽しもう。」と考えたところで、実際に「楽しさ」を感じることはできないでしょう。

要するに、ポジティブ思考は「楽しくない」のに「無理やり楽しもう」とすることです。でも、そうしても「ポジティブな感情」は得られません。むしろ不愉快になります。

気の合わない人に「私たち気が合いますね」って同意を求められたら、とんでもなく嫌な気分になって、相手を異世界に強制送還したくなりませんか? これと同じ感じです。

つまり、自然とポジティブな気持ちが湧いてこない状況で、無理やりポジティブになろうとするのは、人間にとって不快なんです。

はるか
はるか

数学のテストを「超楽しみ!」って思っても、私は救われないってこと……?

あきな
あきな

逆にそれで救われたことあるの?

はるか
はるか

ない! テストはどう考えても嫌いだもん!

あきな
あきな

答えはすでに出てるんだよなあ……

ポジティブシンキングは、本当に「普遍的美徳」なのか?

驚くかもしれませんが、ポジティブ思考は人類の歴史では当たり前じゃなかったんです。

想像してみてください。
原始時代、マンモスと戦ってる時に、マンモスが大技を繰り出そうとしています。その時に、「大丈夫、大丈夫、なんとかなるっしょ~」とか言っている人がいたらどうなるでしょう?
即死亡ですよね。むしろ、「やばい、逃げろ!」って警戒心の方が大事だったはずです。

その証拠として、人間には「ネガティビティバイアス」が存在しています。これは、「ネガティブな情報により反応しやすくなる性質」のことであり、人類の進化を通して「ネガティブさが有利」だからこそ選択されてきたものです。

古典を見ても、ポジティブ推しの本なんてほとんどない(はず)です。

アリストテレスは中庸を説いたし、キルケゴールは人生の苦しみについて語ってます。孔子や老子だって、「自然に任せろ」って言っています。キリスト教も原罪とかいう概念を持ち出していますし。仏教に至っては「生きるとは苦しみである」とか言ってますからね。

つまり、昔の人ってポジティブ信者じゃなかったんです。もしかしたらポジティブな思想家もいたかもしれませんが、少なくともメジャーなものではなかったわけです。

徒然草だって、別にポジティブに考えるのがいいなんて言ってないです(平安時代末なんて、末法の世だしこの世終わるしでみんなてんやわんやだったわけです。たぶん)。つまり、人類は昔からポジティブシンキング最強最高なんて思ってなかったんです。

はるか
はるか

わたしならマンモスと仲良くなれる! 友情!!

あきな
あきな

……こんな風に考えた人たちが、マンモスに踏みつぶされたて来たんだろうなぁ

はるか
はるか

人類、熊を家畜化しようとして、逆に殺されたりしてたもんね……

ポジティブシンキングの起源

いやでも待ってくれ、現に現代日本では「ポジティブサイコー」と言われてるじゃないか、というツッコミが聞こえてきそうです。

「昔の人はテクノロジーが発達してなくて苦しんでいたけど、今ではテクノロジーが発達したおかげで苦しまなくなったし、結果としてポジティブになったのでは?」という人もいるかもしれません。

が、実は、今日のポジティブ思考の起源は、どうやら19世紀にあるっぽいぞ、と言われているんですね。つまり、歴史はとんでもなく浅いわけです。150年もたってないわけです。

衝撃を受けるかもしれませんが、そもそも江戸時代の日本では儒教的な道徳観念が普通でした。そのうえ身分制度で将来の行く末も決まっていたわけです。私は歴史学者ではないので詳しいことはわかりませんが、この状況で「ポジティブに考えればうまくいく」みたいな思想が起こるとは考えにくいです。

そもそも「自分の頑張り次第で人生を決められる」という考え方自体が、出てくることは少ないでしょう。庶民にしてみれば頑張ろうが何しようが飢饉が来たら終わりの世の中ですからね……。

「ポジティブシンキング」なる珍妙な思考はどこから始まったのか? 

ポジティブシンキングはまず、大前提として「自分の頑張りで自分の人生を変えることができる」という思想をもとにしています。で、そもそもその思想の出所が、19世紀なんですね。

どうやら19世紀のサミュエル・スマイルズっていう人が元祖らしい(調べた限り)です。この人が1859年に「自助論」って本を書いて、「努力して頑張れば幸せな人生が送れるぜ」「だからみんな頑張ろうぜ」みたいなことを広めたといわれています。

さて、ではなぜ、この「頑張れば人生変えられる」という謎の思想が流行ったのか?

これは、当時の社会にめちゃくちゃ都合よかったからなのでは、という説があります。

19世紀は工場労働の時代です。金持ちの工場主たちが「俺たちは頑張ったから成功した。お前らが貧乏なのは努力不足だ」みたいな論理を正当化するのに使えたんです。現代から見たらひどい話……と思いきや、この論説は現代でもいたるところで見られます

スマイルズは、成功者の人生をめちゃくちゃ感動的なストーリーにしたんです。それによって、「努力して頑張れば報われる」という思想を一般化しました。「この成功者は幼少期はこんな苦しい目に遭ったけど、それを乗り越えて努力を重ねて成功をもたらした」みたいな。この方式は、現代の自己啓発書でもよく見られる書式ですよね。

「頑張れば報われる」から「思考は現実化する」へ

こうして、「頑張れば報われる」というストーリーが大衆に受け入れられるようになってきました。すると、人々はこう考えるようになるでしょう。

「報われてぇ、頑張って報われてぇ、でも、どうしたらいいんだ?」

「なんか、こう、手っ取り早く頑張って報われる手段はないのか?」

そんな中、アメリカでとある運動が起こります。ニューソート運動とよばれる、19世紀後半に始まった謎の思想運動です。ちなみに、現代のポジティブ思考、自己啓発、はてはカルトから似非科学療法に多大な影響を与えたとされる、正直諸悪の根源みたいな思想なんですが、ウィキペディアさんからその一端を引用しましょう。

クインビーは、患者の心の在り様が病に影響しており、病気の本質は患者が持つ誤った信念であり、信念を正せば病気が治ると考えた[9]
人間には顕在意識と潜在意識があり、「神に選ばれなかった人類の大半が地獄に落ちる」といった正統派キリスト教が植え付けた恐怖心が人間の潜在意識に入り込み、それが凝り固まったものが腫瘍になるのであり、恐怖心から解放されれば腫瘍も消えると考えたのである[8]

※強調は引用者によるもの

ここら辺なんかはもろに現代の似非科学療法みたいなこと言ってますよね。そして、そのあとに出てきた「マインド・キュア運動」が、現代ポジティブシンキングの基礎となっているわけです

マインド・キュア運動の最も特徴的な点は、より直接的なインスピレーション(直観霊感)を重視することであり、この信仰の指導者たちは、健全な精神状態の持つ万能の力を直感的に信じ、勇気、希望、信頼の持つ圧倒的な有効性を信じ、疑惑、恐れ、心配、そしてネガティブな精神状態のすべてと関連するものを蔑視してきたと述べている[10]

※強調は引用者によるもの

健全な精神状態の持つ万能の力! まさに、ポジティブシンキングの権化みたいなことを言っているわけです。

この段階でうすうす察しているかもしれませんが、この思想が発展してポジティブシンキング最高! という思想に発展していくわけです。

そして、かの有名な「引き寄せの法則」めいたことも、マインド・キュア運動の影響で出没してきているわけです。

「宇宙に存在するすべてのものはエーテル状(目に見えない微粒子状)の原質(物を構成する根本となるもの)からなり、人間が思考をもってそのエーテルに働きかければ、それがモノに変化して引き寄せられてくる」という考えに転じ、さらに「人間がより良い状況を思い描くことによって、望み通りの状況を引き寄せることができる」という自己啓発思想が生まれた[13]

わぁお。こうしてこの思想から影響を受けた人間たちが書いた本が、現代でも自己啓発の名著とされる『思考は現実化する』などの本たちというわけですね。これらの本は翻訳されて日本に入ってくるようになり、日本人も徐々にポジティブシンキングに呑まれていくわけです。

はるか
はるか

わたしなら宇宙のエーテルを操って満点のテストを引き寄せられる!!

あきな
あきな

ああ……お姉ちゃんがニューソート運動に飲み込まれてる……

はるか
はるか

そのままエーテル教の開祖になって、リッチな生活を送るんだ~

あきな
あきな

もはや「思考は現実化する」どころか「妄想は暴走する」だよ……

ポジティブシンキングの商業的成功

はい、というわけでここからは多分に私の考察を含みます。

実際にニューソート運動の話を見てもらうと、いろいろとヤバーなこと言っているのは伝わったと思います。なんてことだ。で、まあそもそも、ある種のカウンターカルチャーとして生まれたこの運動が、どうしてこんなに一大ビジネスになったんでしょうか?

ぶっちゃけると、人間が自分を正当化したがる生き物で、安易な解決策に飛びつきやすい生き物だから、という原因が大きいんじゃないかな~と思います。あくまで私の考えですが。

どういうことかというと、「個人で頑張ればうまくいく、うまくいっていないのは自己責任」みたいな考えが蔓延した結果、「うまくいかない=自分に問題がある」という等式が成り立つわけです。でも、それは自己否定につながり嫌な気持ちになります。

そこで、ポジティブシンキングの出番です。「ポジティブに考えればうまくいく」ということは、こう考えることにつながるわけです。「わたしがうまくいかないのは、ポジティブじゃなかったからだ。でも、このセミナー受ければ人生変わるはず!」

こういう心理を利用して、ポジティブシンキング関連の本やセミナーがバカ売れしたんです。そりゃそうですよね。自分の人生がうまくいってない責任を「ポジティブに考えられていないこと(※そもそも人間はポジティブに考えるようにできてないので、全人類への免罪符になる)」に転化できる。そのうえで、人生を好転させる安易な解決策まで提示してくれる。

呪術廻戦の真人が言ってるように、「人間は言い訳をする生き物だ」ということです。だから、うまくいってない状況の人たちが、「ポジティブに考えられていなかったから」っていう超シンプルな言い訳ができるのは、とんでもなくうれしいわけです。

自己啓発セミナーのからくりは、おおよそこんな感じなのではと考えられます。

「自分の状況がうまくいってないのは、ポジティブシンキングができてなかったからだ。だからあなたは悪くない。このセミナーでポジティブシンキングを学べば、人生変わるはずだ!」ということです。

で、人が集まって「ポジティブになろう」って叫んでると、なんか気分良くなるじゃないですか。それをポジティブシンキングの効果だって勘違いさせ、さも「ポジティブに考えることで人生が好転した(実際には変わっていない)」という形にする。そのうえ、べつに本質的な問題は変わっていないのでリピーター続出、そんな(一部の人にとって)素晴らしいシステムが、自己啓発業界ということなのではないか、と思います。

はるか
はるか

な、なんかめっちゃ悪意にまみれた文章になってない???

あきな
あきな

書いた人が多分、情報商材とかに強い恨みでもあるんじゃないかな……?

ポジティブシンキングの問題点

ポジティブシンキングの一番のヤバさは、現実を無視しちゃうところです。辛いことや苦しいことはよくあることです。それこそ、『ハイパーインフレーション』に出てくるグレシャムの「人生をかけた計画が失敗するなんて、別に普通のことじゃないか」というセリフを思い出す人もいるでしょう。

それを無視して「ポジティブに考えろ」というのは、いかがなものか、と私は思うわけです。

例えば、大切なペットが死んじゃった時に「ポジティブに考えよう!」なんて言うやついたら、サイコパスじゃないですか?そういう時はちゃんと悲しんで、別れを受け入れるプロセスが大事なわけです。

はるか
はるか

喜びも悲しみも、どっちも人間にとって大事なものってことだね!

あきな
あきな

無理にどっちかだけにしようとしたら、そりゃあ壊れちゃうよね

はるか
はるか

私もたまには嫌いな野菜とか食べるよ

あきな
あきな

お姉ちゃん……野菜は毎日食べるものだよ……

結論:ポジティブシンキングの歴史は浅い

結局のところ、ポジティブシンキングはただのブームです。ここ150年くらい、たまたまそんな思想が流行しているだけなんです。だから、ポジティブシンキングは「美徳」ではないし、「普遍的道徳」でもないわけです。なんなら科学的根拠もないので、そのうち廃れていくことでしょう。

ことわざにも人生万事塞翁が馬なんてのもあるわけで、結局、人生でよいことも悪いことも起こるわけです。なので、状況に応じて適切に感情を表現できる方がよっぽど健康的です。時には落ち込んだり、怒ったり、悲しんだりするほうが健康的だし、それが人間らしい生き方じゃないかと思います。

一応、私はポジティブシンキングを完全否定してるわけではないです。いやここまで散々ボロカス言っといてあれですが、例えばスポーツ選手がくじけそうなときにポジティブに考えて持ち直すとか、そういった良い面もあります。

ただ、ポジティブシンキングを絶対的な真理みたいに崇めるのは違うのでは? ということです。あくまで一過性のブームにすぎない。その程度のものだと、誰もが認識できる世の中が来たらいいな、と思います。

というわけで、私の経験、考察が皆様のお役に立てば幸いです。不躾なお願いですが、当サイトは始めたばかりで知名度が足りないので、良かったらこっそり宣伝してもらえると助かります。それでは、良い創作ライフを!

あきな
あきな

私たちが当たり前だと思ってることも、意外と歴史が浅かったりするんだね

はるか
はるか

「野菜を食べろ」とかも、歴史が浅かったりしないかな?

あきな
あきな

残念ながら古代ギリシャからあるんだよなぁ……

参考文献・おすすめ本

今回の記事を読んで、さらに詳しく学んでみたい方には以下の本がおすすめです!

「諦めないこと」はこの世界において美徳になっているけど、それは本当に普遍的文化だったのか? という問いかけをする本。
神経科学の視点を取り入れつつも、エピソード仕立てでわかりやすく「やめることのメリット」や「最適な辞め時」について教えてくれる。
帯にも書いてある通り、ひたすらに自己啓発業界をディスっていくエッセイ。エッセイといえど、サイエンスライターのエッセイなので、要所に科学的根拠がちりばめられている。現代では研究が若干覆った章もあるので注意。けれど、「自己啓発なんてクソだ。人間に役立つのはありきたりで陳腐な助言なのに、それじゃあ金がとれないから複雑で珍妙なものにしていやがる」といった部分は、「本当にそうだよなぁ」という気持ちにさせられる。

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